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邪馬台国=九州説にこだわる深層心理。その2 [歴史]

まぼろしの邪馬台国 第1部 新装版 (1) (講談社文庫 み 14-2)まぼろしの邪馬台国 第1部 新装版 (1) (講談社文庫 み 14-2)

宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」1・2を読んだ。
近々、映画が公開されるので、復刻したらしい。


読んでみて、なるほどと思った。
この人の本が、日本の一般的なイメージとしての
九州の女首長、卑弥呼の幻影を作っていたのだ。

言葉のこじつけが多く、今となってはアマチュア研究家の犯す手法が目立つ。
当時は、学者が結論できない(確証する物がなければ発表しない)ことをいいことに邪馬台国は九州以外ありえないと前提し、学者やマスコミを強烈に批判しながら、邪馬台国の核心に迫ってゆく。

学者が畿内にあるとの思い込み邪馬台国を研究していることを批判し、自分は、邪馬台国の場所を周辺の国を調べることによって辿り着いたと書いているが、なんとそれは本人の住んでいる長崎の自宅近くだった!?

相当の確信犯である。

最初から北九州以外ありえないという絶対の自信で検証してゆく有様は、
悲劇を通り越して喜劇になっている。
当時の考古学(1960年代)ではしょうがないが、それにしても
この人の批判精神は度が過ぎている。

映画では吉永小百合との夫婦愛なんかが描かれるのだろうが、
なんで今頃?なんだろう。


明治以降の邪馬台国の主な論説者をあげてみる。

邪馬台国=北九州説

井上光貞、安本美典、 武光誠など

邪馬台国=大和説

内藤湖南 鳥越憲三郎など。


九州派の安本美典は、読んでてなんの価値もない本だった。
同じく、やたら本を出している武光誠の本も、同じく価値なし。
逆に大和派の鳥越憲三郎さんの本、まずは漢文の原文解説本。

中国人がいかに最近まで台湾ぐらいの南にあるのが倭と思っていたかわかる。

倭人に関しての内容は、この人の右に出る人はいない。

中国正史倭人・倭国伝全釈

中国正史倭人・倭国伝全釈

  • 作者: 鳥越 憲三郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本

 

 

 

九州派は論理的に破綻していることを平気で書くから、読んでて混乱する。
大和派の本はいたってシンプルで、頭を悩ますような論理に出くわさない。

頭の悪い人が、どうも九州に邪馬台国をもっていきたいようだ。
そういえば、九州にあるといったのは東大教授。大和派は京大。
どうりで、九州派は頭が悪いわけだ。

私が大和派になったのも、北九州にあると言う人の論理がおかしいからである。

しかも、神武は日向から来たと記紀にあるのだから、北九州と言うのはおかしい。

邪馬台国はヤマタイコクと読めない。ヤマトである。

魏鏡が畿内周辺から多くでるのも、奈良盆地から、大阪湾、伊勢湾、若狭湾と四方の海へと出られる。

逆に言うと、東海、山陰と海でつながっている。だから東北関東にも前方後円墳が広まる。

北九州にもし邪馬台国があったなら、これら以東の国々は一体何をしてたのか?

しかし、魏鏡が大量に出る以上、魏と交流したのは大和だ。

瀬戸内海から玄界灘に出なくても、若狭湾から出雲、南韓国へと船で行けることからも、

北九州の国々は大和勢力に結局、負けたのだ。

そして卑弥呼以後、九州にも多くの前方後円墳が出来る。

畿内より早く前方後円墳が出来ることはない。

それこそ、大和勢力の九州制覇の証だろう。

四道将軍の話は、当たり前だが、大和から全国(四道)へと派遣されている。

神話とは言え、史実をもとにした話だろう。

北九州説では、神武天皇も四道将軍の話もおかしなことになるではないか。

卑弥呼は天照ではなく、倭姫(やまとのひめみこ)だった、と私は思う。

(魏に朝貢したのは、南朝鮮の領有の件だろう。高句麗の南下が日本を政情不安にした。それが倭国大乱だろう。)

意外にシンプルでありえると思った本↓

 


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コメント 7

elde8823

コメントというものを生まれて初めて書かせていただきます
(時期外れですみません)。
先日ずん太郎さんがあまりに邪馬台国について熱弁するので
とりあえずそれ関係の本を買ってみました
(ろくに著者を見ないで買ったら井上光貞著でした。ずん太郎さんごかんべんを)。
まだ途中ですがどちらの説が正しいという以前に私のような歴史素人はこうだと言われればそうかとうなづく程度の知識しかないのでどちらかに偏った本を読んでは危険だという気がしますね。今のものが九州よりなので次に近畿よりのものを読んでバランスをとろうかと思ってます。
そのうちまた語ってください。
by elde8823 (2008-09-24 01:40) 

zunzun

>elde8823さま、コメントありがとうございます。
自分も十分素人ですが、プロは言いたくても言えない立場があるようで。
なので、勝手に力説してます。最近は鞆の浦に興味を持っています。
鞆の浦がどこかで、邪馬台国の位置は変わりますので。
by zunzun (2008-09-24 23:58) 

himiko

私もあなたに同感です。

ただ、

卑弥呼=媛命=ヤマトトトヒモモソ媛命(孝霊天皇皇女)だと思います。
台与=トヨ=豊鍬入姫命(崇神天皇皇女)
卑弥呼に代わって実質的に政事を行っていた男弟(崇神天皇)

狗奴国(この国・中古音でそう読む)=許乃国(山城国風土記逸文に出てくる)であり、
狗奴国王・卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命(孝元天皇皇子・庶子)
狗奴国官・拘右智卑狗=河内彦(武埴安彦命の母方の一族)


魏書の卑弥呼周辺の政情である、西暦239~250年くらいは、
日本書紀の崇神天皇10年前後の記述のことでしょう?

よって、卑弥呼の擁立前の倭国乱のあたりは、ちょうど、皇室系図である欠史八代の前半部分あたりの内容だと思います。おそらく、天照国照彦・火明命(神武天皇の曽祖父であるニニギ命の兄上)の末裔である尾張氏との間で、どちらが大和王朝の正統なトップか覇権争いがあったんでしょう。いわば、古代版の南北朝時代といったところですか。

by himiko (2008-10-13 21:13) 

zunzun

>himiko様。凄い・・・・。まだそこまで達しておりませんが、勉強になります。このブログでは朝鮮半島情勢まで言及しておりませんが、恐らく、朝鮮系の民族が列島に侵入し戦乱が激化したと思われます。いわゆる騎馬民族征服説ですが、騎馬民族的な戦闘が移入され、その勝者が現天皇の系譜をつないできてるのでしょうか。(いかにも古くからあったように偽装されていますが)興味はつきません。
by zunzun (2008-10-18 09:46) 

himiko

騎馬民族説なんて、トンデモ説は信じません。こんなもんは、今の歴史学会や考古学会では異端です(笑) が、アマチュアの間では未だに人気がある(笑) 江波さんの騎馬民族説は卒業しましょう(笑) そこからは離れてください(笑)


では、文献史料・考古学分野などを参考に古代の謎を解明していきます。参照文献を提示しておきますので、あとで参照していただくと分かりやすいです。ここが重要(笑) ちゃんと古代史の謎を解く鍵は文献に残っていたのですよ。


大和王朝の発祥地・高天原とはどこか?これは、大和国葛城(現・奈良県御所市高天)にほかなりません。古い文献ほど、高天原=葛城とある。(それ以外の説は、徳川時代以降ぐらいに誕生したものが殆ど) 古代日本の辞書・延喜式にも、高天原=葛城という前提で書いてある。葛城のあたりは、近畿地方の重要な河川の上流部が終結し(水を支配できる)、また、地理的に敵に攻められない有利な地域。皇室の祖先・忍穂耳命は、この葛城の豪族で、ここから近畿地方を制覇し、やがて日本全体を統一していったのでしょう。

おそらく、初めて日本の大半を統一したのは、古事記では、ニニギ命(神武天皇の曽祖父)の兄とされる火明命(つまり、忍穂耳命の王子)、通称・天照国照彦(天津と国津の両方の勢力者)といわれ、日本全国にある天照御魂神社は彼を祀っているのが殆ど。どうも、女神の天照大神を祀りだしたのは、天武天皇からなのでしょう。もともとは、この天照国照彦・火明命が、大和王朝の始祖・天照(アマテル)として敬われていたのでは?

そして、ここからが重要なのですが、どうやって、この大和の火明命が日本を統一したのかというと、それは出雲王朝と間の政略結婚。この火明命の皇后は、天道日女命といって、出雲・大国主命の王女です。(これは、国宝海部氏系図や旧事本紀の原文を参照してください。)

おそらく、大和王朝(近畿王権)と出雲王朝(中国地方・日本海沿岸王権)との間で、最後の覇権争いがあったのでしょう。ちょうど、戦国時代における織田家と毛利家との最終決戦みたいなものです。これに勝利したほうが、ほぼ自動的に日本の覇権を確実にできるみたいな...

ますます強大化する大和王朝の前に、出雲王朝は政略結婚で王女を嫁がし、最終的には、出雲王は、娘婿の大和王(火明命)に、出雲の領土を譲渡(降伏)する。これによって、ほぼ大和は天下統一を成し遂げたのでしょう。(実は、このへんのことが、播磨国風土記にあるのです。参照してください。出雲国譲りとは何なのか?) 

<そして、二代皇帝には、この火明命と天道日女命の間に生まれた香語山命が即位したのではと思います。つまり、香語山命は、大和系と出雲系の両親をもつ合いの子、大和と出雲の完全なる合一ですよね。そういう約束で、出雲国譲りが行われたのでは?と思います。>


そして、天下統一を成し遂げた天照国照彦・火明命は、日本各地に将軍を派遣します。その中で、日向(九州南部)の高千穂には、弟(兄という説もある)のニニギ命を、派遣したのでしょう。つまり、若御毛沼命(神武天皇)の曽祖父です。

そのニニギ命の家系は、日向で3代知事をやったあと(日向三代)、若御毛沼命(神武天皇)の時に、大和本国で内乱があったので、宗家を助けるために大和本国に援軍として駆けつけたのでしょう。(神武東征)

そして、そこで若御毛沼命(神武天皇)は功績を認められ、大和国磐余に居を構え、磐余彦を名乗り、大和王朝の実質的な政治の最高権力者になったのでは?と思います。

しかしながら、祭祀上の最高権威者は、依然、火明命ー香語山命の系統のほうで、この系統こそが大和王朝の創始者家系であり、大和王朝の嫡流で、形式上の皇帝だった。ニニギ命の神武皇統(現在の皇室家系)は、大和初代皇帝自身の男系子孫ではなく、その初代皇帝の弟の男系子孫で、完全な傍系で、執政的な地位だった可能性が高い。

しかし、普通、最高権力者というのは、最高の権威まで欲するものです。中世の足利義満もそうでした。しかも、先祖が最高権威者と繋がっているので、「俺が権威まで奪っても良いじゃん」と思ってしまうものです。足利義満も清和源氏といって皇室とは先祖が同じでしたし、古代の神武皇統も、元は火明命の系統とは兄弟から分かれた家系だったわけで。

おそらく、欠史八代のどこかで、ニニギ命の後胤たる神武皇統は、火明命の後胤から、祭祀上のトップの座(最高権威・形式上の日本国皇帝の地位)まで奪ってしまったのでしょう。だからこそ、この辺は欠史八代といって、記載があまりにも少なく、また、卑弥呼(媛命=ヤマトトトヒモモソ媛命)が共立する元になった倭国乱なんでしょう。(魏書には、倭国には元々は男の王がいたが、倭国乱がおこって、卑弥呼を共立することによって、鎮まったとある。)

そして、日本は、祭祀上のトップ(形式上の日本国皇帝=大倭王)には卑弥呼(媛命=ヤマトトトヒモモソ媛命)、そして実質的な政治上のトップには、その弟の孝元天皇がつき、孝元天皇ー開化天皇ー崇神天皇と父子へ継承され、卑弥呼(媛命=ヤマトトトヒモモソ媛命)が死んだであろう西暦247年はまさに、崇神天皇が政治を行っていた男弟だったのでしょう。


あんまり、長くなりすぎたので、とりあえず、ここで失礼。
by himiko (2008-10-20 11:39) 

himiko

「出雲国譲り」とは、大和と出雲の合一。
大和は強大化し、出雲はそれに対抗できなくなっていた。
出雲の大国主命は王女を、大和の火明命に嫁がせ
その間にできた子へと皇位が受け継がれるという条件をつけ
大和による出雲の平和的な吸収合併を認めた。(播磨国風土記参照)


出雲王家(首都は、出雲国意宇郡)


大国主命──天道日女命
       │
       ├─香語山命─村雲命
       │
      ┌火明命
      │
忍穂耳命┼
      │
      └ニニギ命─(2代略)─若御毛沼命
      (日向・高千穂家)   (神武天皇)


大和王家(首都は、大和国葛城(高天原))
by himiko (2008-10-22 15:59) 

通りすがり

バリバリの九州説支持派です。疑問ですが、何を以て魏鏡だと言っているのでしょうか?おそらく三角縁神獣鏡のことでしょうが、中国の魏の領域であった所から沢山の三角縁神獣鏡が見つかった例が有るのでしょうか?近年、鏡のコレクターが中国の農家から貰った例がありますが、何処から出土したのか、出自不明です。信用出来ませんね。畿内、特に巻向遺跡から魏志倭人伝に有るような青銅武器や、鉄器の類が沢山見つかったのでしょうか?或いは漢式鏡や舶来品、が沢山見つかったのでしょうか?金印や三種の神器を伴った王墓のある弥生遺跡が見つかりましたか?卑弥呼が古代天皇家の皇族であるという説得力のある根拠が有りますか?私は全くそんな話を聞いたことが無いですね。もっと説得力のある根拠が挙がれば納得がいきますが、頭ごなしに九州説否定をされても全く駄目だと思います。
by 通りすがり (2016-11-22 20:41) 

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