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「ウェールズの山」を解説つけて鑑賞。 [映画]

ウェールズの山

ウェールズの山

  • 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
  • 発売日: 2006/04/19
  • メディア: DVD


【監督・脚本】Christopher Monger クリストファー・マンガー
音楽】Stephen Endelman スティーヴン・エンデルマン
【出演】
 Hugh Grant ヒュー・グラント(測量技師アンソン役)、
 Tara Fitzgerald タラ・フィッツジェラルド(ミス・エリザベス役)、
 Colm Meaney コルム・ミーニイ(モーガン役)、
 Ian Mcneice イアン・マクニース(ギャラード役)
 Ian Hart イアン・ハート、(負傷兵ジョニー役)
【製作国】イギリス
【原題】THE ENGLISHMAN WHO WENT UP THE HILL BUT CAME DOWN A MOUNTAIN
【上映時間】1時間39分
1995年作品


昨日の日曜日、大宮のソニックシティの後ろに立つビル、シーノ大宮で、
視覚障害者の為に見る映画、いわゆる音声ガイド付映画を上映しました。

個人的に、この鑑賞会に関わっているので、年に2回ほどですが、
今回は、私の大好きな映画、「ウェールズの山」を、
私の生解説付で、上映させてもらいました。

もちろん、これは視覚障害者の為のボランティアサークルで営利の為ではない。
一応、断っておかないと、どこからかお金を請求されそうなので・・・、

この音声ガイドを作るということ、映画をただ鑑賞しただけでは気付かないような
とても細かい、いろんな事に気付かされる。
またストーリーもより深く理解することが出来る。
そしてさらに、映画製作者側の気持ちもわかるような、そんな副産物も生む。

もし、映画を作りたいと思ってる方は、まずは音声ガイドを作ることお勧め。
よくNHKの朝のテレビ小説の副音声で流れているやつだ。

10分の音声ガイド作るのに、私の場合、一時間かかるのだが、
それだけ映像を何度も何度もみてガイドを作るので、
製作過程で、「ウェールズの山」のいろんな部分に気付き、
以前以上に、大好きな映画になりました。

以下、ネタばれです。

この映画の主人公を演じるのは、ヒュー・グラント。
あまり彼の代表作とは言えないようなのだが、映画を観ればわかるが、
この映画の主役は、本当は彼ではない。
ウェールズに住む、村人達が主役なのである。

ウェールズはロンドンの西方に位置し、炭鉱や鉄鉱で栄えた地方だが、
この映画の時代設定、1917年は、第一次世界大戦の真っ只中。
イギリスは、ドイツとの戦いで、村人達は戦争のせいで疲弊していた。

そこにヒュー・グラント演じる、王立測量会社のイングランド人が、
この地方の地図を製作するためにやってくる。

なぜイングランド人か?

ウェールズの人々にとってイングランド人は異国の人だからだ。

ウェールズはスコットランドと同じく、古代ケルト人の地を引く民族が住む場所で、
古くはローマからの侵略やアングロ・サクソン、ノルマン人からの圧迫にも耐えてきた。

それだけに、イギリスと違う文化や言語(ケルト語)を大事にし、
自分達はケルト人の末裔であることの誇りを失っていない。

この映画は、そんな彼らの誇りの象徴であるウェールズの山を舞台にしている。
山の名前は「ファノンガルー」(字幕ではフュノンガルー)

彼らにとって、ロンドンから来て最初に出会う山、ファノンガルーは、
侵略者からウェールズを守った山として、彼らの大事な山なのである。

それがイングランドから来た測量士によって、山の高さの規定、
1000フィートにやや足りないということで、丘に認定されたことから、
村の騒ぎとなって、物語は進行する。

イギリスののどかな田園風景と、そこで自然と共生する村人達。
どこか牧歌的な叙情をかもし出すケルト人の住む所、ウェールズは、
実は厳しい現実を背負う、貧しい村だった。

炭鉱で死ぬ男達。
戦争にとられ生きて帰ってくるかわからない若者。

しかし厳格なキリスト教(メソジスト派)の村人達は、
山を作るという神をも恐れない行動にでます。
牧師の決断によって、働いてはいけない安息日のその日に、
ついに「丘」を「山」にしてしまうのです。

坦々と進む中、滑稽とも思われたウエールズ人の誇りが、
やがて気迫となって、我々に感動を与えてくれます。
また、山から見た風景も美しく、山を愛する彼らの心がわかります。

この映画の原題
THE ENGLISHMAN WHO WENT UP THE HILL BUT CAME DOWN A MOUNTAIN
は、直訳すると、丘に登ったイギリス人、しかし、山を降りてきた。
実におかしな題名ですが、もっとおかしいのは、これが人の名前であること。
それが、この映画の始まりであり、しかも本当にあった話をもとに作られています。

この映画の舞台ウェールズは、日本では宮崎アニメ「天空の城・ラピュタ」で、
背景のモチーフとして使われているそうです。
そういえば、炭鉱の町だった。
またC.W.ニコルさんは、ウェールズ出身。
彼も、このアニメ見て感動したらしいです。
本人は自分のことを、ケルト系日本人と言っているらしい。

この映画、ちょっと古い映画なのですが、最近DVD化されて、
昔VHSで見たときより、ぐーんと綺麗に見えました。
なんだか、イギリスに旅行したような気分になれます。

この映画を観る前に、または観た後にお勧めの本。

ケルト映画紀行―名作の舞台を訪ねて

ケルト映画紀行―名作の舞台を訪ねて

  • 作者: 武部 好伸
  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 1998/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


図説 ヴィクトリア時代 イギリスの田園生活誌

図説 ヴィクトリア時代 イギリスの田園生活誌

  • 作者: デイヴィッド スーデン
  • 出版社/メーカー: 東洋書林
  • 発売日: 1997/02
  • メディア: 単行本


『俺は、君のためにこそ 死ににいく』 [映画]

『俺は、君のためにこそ 死ににいく』を川口のmovixで観ました。

映画を観る前に全く情報をいれていなかったので、
とても素直に観る事ができた。
石原慎太郎の脚本もよく出来ていた。
さすがは石原さんですな。余計な台詞がない。
いわゆる反戦的なメッセージをこめた台詞がなかった。
当然、リアリティを追求するなら、あたりまえ。
反戦を唱えていたのは共産主義者しかいませんから。

最近の戦争映画では最高の脚本じゃないでしょうか。
また、予想以上に米軍への艦上攻撃シーンに迫力があって、
驚きました。(昔の映画はそこがチャチでした。)

今回の映画は軍歌もたくさん使用されて、当時の兵隊達の姿をよく伝えていた。
軍歌こそ当時の兵隊、日本人の心をあらわしていたと思う。
戦争中を扱うドラマや映画で軍歌が流れていなければ、それは紛い物だ!と
私は思っています。(毎日、NHKラジオをみんなつけて聞いていたんですから)

台詞に『靖国神社』の名が至る所で出てきた。
当時の死にに行く若者にとって「靖国で会おう!」は、合言葉だった。
もちろん、死にたくはない。
誰もが苦しんだはずだ。
それでもお国のため、家族の為、恋人の為と思う心が、
個人の欲求(死にたくない)を勝った。
恐らく、それこそが石原さんの言いたいところだったのか。

大東亜戦争を個人の感傷で描けば、悲劇以外なにものでもないが、
国家や歴史という大きな目でみれば、日本の戦争行為は、千年後の世界では、
かつてのアレキサンダーやチンギスハーンの偉業と同じように列せれられるかもしれない。
白人支配の世界を打ち破った功績として。
今ではアジア人もアフリカ人も白人と同等に話せるが、100年前は違っていたのですから。
そんな歴史も知らずに反戦!という人、馬鹿じゃないの?と言いたくなる。
日本人は、もっと誇りをもっていいのです。

まだ60年しか経っていないし、負け戦だったので日本人にはいまだ敗戦ショックが残っているが、
憲法論議などもあるように、ようやく日本人は大人の国家として自立し始めた時期にきたのかも知れない。
アメリカによって洗脳された(ウォーギルトインフォメーション)日本人の魂が、開放される時がきた。
そう思うのは私だけじゃない。
小泉、安倍、そして石原さんが支持されるのも、その現われじゃないでしょうか。

もしこのブログをたまたま読んで頂いたなら、当時の状況を知る人で、最も中心にいた人の
一人として、20世紀の生き証人とも言える人の本を紹介します。

あの時「昭和」が変わった 一○一歳、最後の証言

あの時「昭和」が変わった 一○一歳、最後の証言

  • 作者: 加瀬 俊一
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2004/06/23
  • メディア: 単行本


加瀬さんは、戦後初の国連大使になっただけでなく、戦艦ミズーリでの降伏文書調印にも
立ち会った人で、外交官としてだけでなく、人間としても大きな人でした。
この本は100歳の時に書かれた本ですが、3年ほど前に101歳で亡くなられました。

この本には真実が書かれている。
時代の生き証人が語る、歴史がある。
そして命をかけて日本を守ろうとした若者達へのレクイエムでもある。
この本を読んで、日本の美を私は知りました。
平成の世になってからの浮き草のような今の腑抜けた日本人は、
必ず読まなければならない必読の書。

と私は思う。






山田長政がタイで映画化。 [映画]

http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=wor&aid=20070330i501


初めてソネットのニュースからブログを起こしてみる。
ニュースによると、タイで山田長政のことを映画化するらしい。
主演も日本人を使うらしい。
以前、私はアユタヤの日本人町を見たくてタイへいったのだが、
そこにはかつての町と言えるものはなかった。
どうやら華僑に焼き討ちされたらしい。
アユタヤはほとんど廃墟のような遺跡が連なっているのだが、
仏の顔がとてもいい表情をしていた。
なにか微笑みというよりこらえ笑いしてるのかな?という面持ちだった。

戦前、タイは日本と同じで、欧米列強の植民地にならなかったということ、
また戦争中、日本はタイとは友好国だった(日泰攻守同盟条約)というこで、
好きな国だ。また仏教に篤いのも心情的に贔屓してしまう。
しかし私が「戦場にかける橋」で有名なカンナチャブリある資料館に行ったら、
初老のイギリス人の観光客が沢山いて日本人は私だけだった。
なにか冷たい目線を感じ、早々と出たのだが、そこは日本人の残虐性を
描いたものばかり展示されていたのだ。
だからそこに私のような日本人がきたものだから、白い目で見たのだろう。
しかし、ミャンマーの軍事政権をみてわかるとおり、イギリスがビルマの共産主義者を
支援して、日本人と敵対させていたのだから、アジアにおける戦後責任は日本よりも
むしろイギリスにあると言える。
しかもビルマとタイの架け橋を破壊するもんだから今でもタイとミャンマーは仲が悪い。
(日本と朝鮮どころではない)
華僑といい、共産主義(今は毛主義)といい、アジアの政治状況は、
いまだ彼らによって混乱してる。
これらは、そもそも欧米の間違った戦略に起因してるとつくづく思う。
アフリカも中近東も同じだな。


「硫黄島からの手紙」を観て。その2 [映画]

硫黄島からの手紙を観て、戦争は悲惨だ。だから戦争をやめましょう。
と思う方がいたら、それは平和ボケの証し。

日本を戦争に巻き込もうとした大悪人、フランクリン・D・ルーズベルト。
彼はアメリカの大統領だったが、12年も大統領をやった人は他にいない。
彼のミドルネーム、Dは、デラノ。
母親の家の名前だが、中国において麻薬ビジネスで大儲けした家であります。
父親のルーズベルト家も中国ビジネスで大儲けした家で、ユダヤ系でありました。

イギリスは中国人をアヘン漬けにして、大儲けしたことは有名。
アメリカも中国人をアメリカへどんどん連れてきて、大陸横断鉄道を作らせました。
そして苦力(クーリー)をアヘン漬けにして、鉄道建設工事が終わると邪魔になったので、
彼らを虐殺していったのであります。

そのアメリカに媚を売ったのが宋姉妹。
その姉妹と結婚したのが、蒋介石と孫文。
彼女達にふりまされて、アメリカは日本との戦争を決意。
日本人を叩きのめして中国人を助けよう!と義侠心まで持ち出して。
かくして中国から日本を追い出すことに成功したのであります。

しかし、気付いたらアメリカも蒋介石も毛沢東に、
大陸から追い出されてしまいました。
蒋介石は日本から莫大な賠償金を取るつもりだったのに、
アメリカに放棄させられ、最後は台湾で惨めな死を迎えました。
大陸に反攻することを夢見ながら。

かくして英米は、ドイツと日本を倒したことがいかに馬鹿であったか、
スターリンという男がいかに極悪で嘘つきであったか、
ここで、ようやっと気付くのであります。
それからは、対共産主義戦争にあけくれる日々。

そしていまや、イスラム原理主義との戦い。
ソ連と戦うために作ったイスラム聖戦士が、
飼い犬に手を噛みはじめたのです。
そして毎日何十人もイラクでアメリカ兵が死んでいます。

戦争はしてはいけないなんて、
あまりにも幼稚な考えだと思いませんか?


「硫黄島からの手紙」を観て [映画]

ここはリボンシティ。王冠の形をしたベンチの前に座るポルカ。
この王冠のベンチは、ビールの街であった川口の面影を残すモニュメントのようである。
リボンシティとは、アリオという複合商業施設やマンション住宅街などが配置された、
人工的な街のことである。(イトーヨーカドーです、一口に言うと。)

川口駅から数分の場所にあり、サッポロビール工場の跡地に作られた。
数年前にサッポロビールが経営難に陥り、工場がなくなると聞いたとき、
キューポラの街と知られる川口から、鋳物工場に続き、また川口らしい風景が
消えてなくなるのかと感慨したものだった。

さて昨日土曜日に、ここの中にある映画館movix川口で、「硫黄島からの手紙」を観た。
内容についてはまだこのブログでは書けないが、「ラストサムライ」のところでも書いたが、
ハリウッドのほうからこのような映画が作られたことに喜びを感じた。

予想通り、この映画はアメリカ人が見たら、今のイラクなどもそうであったように、
いったいなんの正義の為の戦いだったのか考えさせるものになるに違いない。

アメリカの正義とは、建国以来、『自由平等』の原理のことを言う。
この原理は、フランス革命の時に謳われたものだが、
もともとピューリタンの思想であった。
つまりキリスト教なのだが、カトリックからの自由という意味が強い。
だから大統領になる人間は、白人でプロテスタントでなければならない。
いわゆるWASP(ワスプ)である。(例外もある)

戦後いまだに続くウォーギルトインフォメーションというアメリカの日本統治戦略に、
まんまとだまされて、または意図的に、「戦前の日本は軍国主義だった」と、
日本が民主主義だったことを全否定する輩が多い。
(進歩的文化人や似非ジャーナリストたち。筑紫とか関口とか大江とか)
日本が戦った最大の理由は、『東亜の開放』だったのであって、国民の総意でもあった。
一部の軍人が暴走してアジアを侵略したなんてのは、大間違いである。

共産主義という天皇制を廃そうとする思想、勢力を排除するために、
軍事力を使ったというのが真相であり、当時、一般の日本国民で、
軍人を非難する人は皆無である。
憲兵や特高を、軍国主義の象徴のように描くドラマが多いために、
彼らを軍人と勘違いしてる人が多いが、軍人は国民から尊敬されていた。
男はたいてい、「末は大臣か大将か」と夢見ていたものだった。
(NHKさん、純情キラりで、大東亜戦争を太平洋戦争と言い換えたり、
日支事変を日中戦争などと言い換えたりしないでくださいね~。受信料払いませんよ!)

確かに東条英機のように、軍人が総理大臣になったりしたが、(戦時中に辞職)
アメリカのほうが、そういう意味では軍人が大統領になっている例が多い。
(そういう意味とは、どちらが軍事的な政治体制かという意味だ。)
しかも大統領の権限で、議会の決定を覆すことが出来る。
総理大臣の権限で、議会の決定を覆すことは出来ない。
だから日本は、アメリカより民主主義が徹底していたともいえるのだ。
そもそもアメリカ大統領は、軍の総司令官でもあるのだから。
(ちなみに日本の総大将は天皇。昭和天皇は元帥でもあった。)

しかし戦後、日本は軍国主義、アジアの侵略者のレッテルを貼られて今に至る。
日本人が思いもしなかった嘘を教え込まれ、罪悪感という楔を打ち込まれた。
これは原爆よりも効果が大きい。
アジアを侵略したのは欧米であって、日本はそれを開放しようとしたのであり、
戦後、アジアで独立運動の中心になったのは、日本が教育した青年たちである。
中国でも、孫文や蒋介石は、日本で教育を受けた。

今、中国では彼らが日本で教育を受けたという事実を全く教えていない。
それは、日本がアジアの解放者であった事実を隠すための政策なのだが、
いまだにアジアが連携できない理由にもなっている。

しかし日本人の中に、アカが存在し、いまだに日本を陥れる活動をしているのだから、
もうどうしようもない。そして教育現場でも日教組が子供達を洗脳し、日本人の歴史を
知らない子供を多く生み出している。いじめや自殺が多くなるのも当然だ。
日本人として生まれたことを誇りに思える教育を全くしてこなかった付けが、
今、回ってきたのだ。

この『硫黄島からの手紙』でも憲兵のことがでてきて、憲兵隊の人間が、
一般の主婦を共産主義者と勘違いして、「アカ!」と叫ぶシーンがあるのだが、
言語不明瞭で聞き取りにくく、とても残念だった。

戦後、共産主義のシンパだった人間は、レッドパージという政策により、
アメリカでも日本でも排除されたが、(アメリカではマッカーシズム)
共産主義は日本よりもアメリカのほうが、深刻だっかも知れない。
なにしろルーズベルト大統領が共産シンパだったから。

結局、日本とアメリカは、共産主義と闘うという共通の目的を持つことになり、
同盟国になった。朝鮮戦争、ベトナム戦争は、対共産主義戦争と言える。
今、イラク戦争はテロとの戦いということになっているが、実はその裏に、
ロシア、フランス、中国といった社会主義的な国との目に見えない戦いがる。
(おもに資源獲得競争でもあるのだが)

ようやっと、このような映画がアメリカでも公開されると思うと嬉しくなるが、
まだ原爆投下を正当化する国だから、ここから始まったとでもいえるのかも知れない。
ただ中国では、『SAYURI』と同じように、上映禁止になるかも知れないが。


「ラストサムライ」を観て [映画]

昨日の日曜日、『ラストサムライ』をTVでやってて、また見てしまった。
DVD持ってるのに。
それにしても、この映画を正しく評価しているな、
と思える文章や解説者をあまり見かけない。
これは本当の武士道ではないとか史実とは違うとかいう人がいるが、
この映画の本質は違うところにある、と私は思っている。

ということで、なぜ、この映画が多くの人の感動をよんだのか?
不肖zunzunが、この映画を普通とは違った視点で書いて見たいと思う。

まず、渡辺謙が演ずる勝元という武士は、
西郷隆盛がモデルになっていると言われている。
だからラストの戦闘シーンは、明治10年の西南戦争ということになる。
映画の中のサムライ達の反乱の理由は、廃刀令と髷の禁止。

もちろん、この映画は史実を元に作られたわけではない。
西郷の反乱の理由は別である。
しかし、実際の史実を知ることで、
監督は何を描きたかったがわかってくる。
決して日本ブームにのって、
侍の話をいい加減に作ったわけではないことがわかると思う。

トムクルーズ演じるネイサン・オルグレンは、インディアン戦争の後、
(リトルビッグホーンの戦い)
女・子供の泣き叫ぶ声が頭から離れず、強烈に贖罪の意識を持つが、
そのため、ノイローゼに陥り、生ける屍となって酒びたりになっている。
という設定である。
これは、普通のアメリカ人からすれば特殊なケースということになる。

なぜなら当時のアメリカ人は、インディアンを虐殺することに
なんの罪の意識を感じなかったからだ。
インディアンを数多く殺せば殺すほど、その男を英雄に祭り上げていた。
日本においては、明治維新を行った薩長連合軍がこれに似ていた。
だから、ネイサンの精神破綻は普通ではないのだが、
だからこそ彼が立ち直るためのきっかけが必要になり、
物語は進行してゆく。

この物語は、
ネイサンが、サムライに自分が滅ぼしたインディアンを投影し、
やがて彼らの心を理解し、彼らの代弁者になることで、
インディアンを虐殺した罪の意識を払拭してゆく物語でもある。
つまりネイサン自身の再生物語でもあるのだ。

今までのハリウッド映画なら、ネイサンは日本には来ないで
ロッキー山脈あたりで、インディアンの酋長の娘と知り合って、
騎兵隊と戦うストーリーだったかもしれない。

勝元のモデルが、西郷隆盛と書いたが、
では、ネイサンのモデルは誰だったのか?

それはアーネスト・サトーではないだろうか。
もちろん、アーネスト・サトーは西郷と一緒に戦ってはいない。

彼は、幕末に来たイギリス公使の書記官で、日本文化の造詣が深く、
明治維新を、その冷徹な目で記録した。
また彼がいなければ、日本の明治維新は成功しなったであろうと思われるぐらい、
官軍側と深くかかわっていた。

その中で、彼は西郷との交流によって、
日本の武士道の真髄を知ったのではないだろうか。
その彼の日記がたぶん、この映画のネタ元になっていると思われる。
映画の中で、写真を撮っていた太っちょの白人がいたが、
この映画のナレーションは彼の声だった。
だから、彼の目線で語られた、武士といちアメリカ人の話となるわけだが、
これは私の想像だが、多分、彼とネイサンが、アーネスト・サトーの分身となって
二役になったのではないか。

一方、明治天皇は西郷のことを非常に信頼していたため、
西南戦争で西郷が非業の死を遂げると、天皇はしばらく、
明治の元勲達と口をきかなくなったと言われる。
それほど西郷の死は、明治天皇にとってもおおきな損失だった。
西郷を死に追いやったのは大久保利通だが、
同郷で、西郷の無二の親友でもあった彼の内心は、
いかばかりであっただろうか。
結局、彼も西郷の死の翌年、暗殺されてしまう。

映画では大村という男は、宦官のような性格の男だったが、
彼のモデルは大久保ではない。
大村だから大村益次郎かとも最初は思ったが、
おそらく山縣有朋だと思われる。

彼は、戊辰戦争の頃から金に汚かったと言われ、明治の元勲の中でも
相当の私腹を肥やしたと言われている政治家である。
(椿山荘なんかはその最たるものか)

その逆に大久保は、私有財産がほとんどなかったと言われている。
しかし、政府を私物化し、自分に反対する人間をみなあの世に送った罪では、
山縣より悪いかもしれない。

話は脱線したが、ラストサムライで語られる、近代化路線の明治政府と、
古色蒼然とした武士達の戦いは、実際の西南戦争とは、
かなりかけはなれたものであった。
事実、西南戦争のおかげで日本の近代戦の基礎ができたのではないかと
思われるぐらい、西南戦争は、近代戦争だった。
(田原坂の戦いは、まさに銃弾戦。)
確かに抜刀隊と呼ばれた刀のみで戦うやつらもいたにはいたが。

映画に近い戦いは、熊本神風連の乱と呼ばれた戦いが最も近いと思われる。
この時、明治政府側と戦った熊本神風連の人間のいでたちは、
鎌倉武者のようだったと言われ、銃など使わなかったらしい。
(そのかわりあっという間に鎮圧された)

士族の反乱とは、単純に言えば、戊辰戦争の論功行賞を政府が見誤り、
その責任逃れのため、異論のある人間たちを、士族の反乱という形をとって、
(すべて何々の乱と呼ばれた。西郷の時だけ西南戦争)、
反乱軍を鎮圧する形で、葬り去ったのではないかとも言える。

明治維新は下級武士が上級武士(幕府側)を倒すことで、
近代化に成功した一種の革命ともいえる変革だったが、
世界的にも特殊なのは、武士であった彼らが(とくに薩長)、
自らその身分を捨ててしまったことである。

だからこそ武士の命である刀を捨てさせようとする政府の政策に、
最後まで抵抗し、刀を捨てるぐらいなら命を捨てるという武士達も、
大勢いたのだということをあらためて思い知らされた。
勝元も西郷も、最後は滅び行く武士道に対して殉じたのだった。

800年続いた武士の時代がこのような形で終わり、
世界中の誰もがわかるような映画にした。
そういことから、これほどわかりやすく、なおかつ、
日本人にも納得のいったアメリカ映画はなかった。
(かつてハリウッドの描く日本人は間違いだらけだった。)

ゆえにこの映画は、本来、日本人が作るべきだったと思った。
白人が作ったことに驚き、それを世界が認めたことに嬉しかった。
まだ見ていないが、クリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」など、
戦後60年以上たって、ようやく本当の日本とアメリカの友好が、
映画を通して出来るのではないか、
と思わせてくれる映画がたくさん出来て嬉しい。
特に渡辺謙さんみたいに、
世界に通用する日本人が出てきてなおさら嬉しい。

この映画、ほんと映画館で見たとき、嬉しかった。
その理由をやっとまとまった文章で書けて、嬉しかった。

長くなりました・・・・。
終わり。


ALWAYS三丁目の夕日、音声ガイドその後。 [映画]

ALWAYS三丁目の夕日』の音声ガイドを12月3日に、
大宮で行ってきました。

視覚障害者も生まれつきの方から、中途失明のかた、
弱視の方とそれぞれなので、どういう言葉を使えばいいのか、
文才がないので、とても苦労します。

しかし、私の場合、上映時におけるガイドだけでは、
不十分と考え、いつもMLで、事後解説をしています。
以下、そのメールの内容です。(俳優編もありますが、ここでは割愛)

ネタばれになりますが、もうテレビでもやったから、
いいかな。
見た方も見てない方も、私の労作(?)を読んで、
この「ALWAYS三丁目」の夕日を
もう一度、見て欲しいですね。

ALWAYS三丁目の夕日の事後解説です。
この映画のためにオープンセットを組み、
それとCGの合成で昭和33年を再現しました。
映画のセットが一種のテーマパークみたいで、
その中で使われる物が、ほとんど当時の物を使ったという
こだわりようです。

冒頭のシーンで、ラジオから懐かしい曲が流れ、
鈴木オートの工場を掃除するトモエ。
ラジオは真空管で木製の大きな箱でしたね。
でもあの時代のラジオって、けっこういい音してました。

一平がゴム飛行機を持っていましたが、
これ当時はどうなんでしょう、
他の友達に見せびらかしてるところから、
なかなか買えなかったのかな。
鈴木オートもなんとか生活に余裕がでてきた、
そんな感じを映像から受けます。

場面は荒川を渡る汽車に変わります。
カメラは、汽車に乗った金の卵達を、
天井から撮ってゆきます。
窓の外は、完全にCGなのですが、
まったく違和感がないほどです。
集団就職列車は、1954(昭和29年)年に運行開始され、
1975(昭和50年)年に運行終了されるまで、
21年間に渡って就職者を送り続けました。

むつここと、六ちゃんも、故郷の青森を離れ、
それこそ花の東京で、夢をつかんでやると思っていたでしょう。
社長秘書になれるべかなぁ~なんて夢見ながら、ごとんごとんと
ゆられてきたのでしょう。
でもみんな大きな夢を持って上野駅へとやってきたのでした。
井沢八郎の「ああ上野駅」は、そんな若者の愛唱歌となりました。
(昭和39年発売ですが、井沢も青森出身)

大通りを走る、オート三輪と路面電車。
オート三輪は、ダイハツのミゼットと思われます。
かなり小型で、二人乗るのも窮屈ですが、荷台付だったので、
鈴木オートのような自営業者には重宝したことでしょう。

路面電車は、当時の東京が最も路面電車が走る都市でした。
通称、都電と呼ばれていましたが、
チンチン電車のほうが親しみやすいですね。
車が増えてくるに従って、
交通渋滞を引き起こす原因とされ、
昭和42年から昭和47年にかけて撤去されてゆきましたが、
荒川線が生き残り、現在に至っています。

元ダンサーのヒロミが女将になっている居酒屋では、
茶川竜之介が、
「健三郎とか慎太郎とか・・・」と管を巻いていましたが、
健三郎とは、大江健三郎で、
昭和33年、『飼育』で芥川賞受賞。
慎太郎は、石原慎太郎で、昭和31年、
『太陽の季節』で回芥川賞受賞。
『狂った果実』は、同じ昭和31年に映画上映され、
裕次郎とともに、石原慎太郎は、一躍人気者となります。

茶川も、こんな二人に刺激されていつか自分も!
と思っていますが、いつまでもうだつのあがらない
駄菓子屋の店主であることに苛立ち、
子供にいやがらせするような捻じ曲がった性格でしたが、
淳之介少年との出会いが、彼の性格を変えてゆきます。

この淳之介の名前の元になっているだろう人物が、
昭和29に「驟雨」で第31回芥川賞を受賞した吉行淳之介。
母親の名前が和子だったので、おそらく吉行淳之介の妹で、
女優の吉行和子から名前をとったと思われます。

季節が夏へと変わると、夕日町にも風鈴の音が流れ、
風鈴売りの姿が風情を醸し出しています。
道の脇にある井戸では、冷たい水で満たされた桶に、
ラムネが冷やされています。

鈴木家にもテレビがやってきて、三丁目の住人が
大勢集まってきます。
昭和30年にもなると、白黒テレビも普及し、
洗濯機、冷蔵庫とともに、三種の神器と言われます。
映画は昭和33年ですので、もうテレビはかなり普及し、
そうめずらしくないはずなのですが、
人々の記憶の中に、街頭テレビで応援した力道山の姿が、
いつまでも残っているので、その辺を演出したいという
製作者側の意図があったかなと思ってます。

鈴木家にも三種の神器のひとつ、
電気冷蔵庫がきた為、
氷屋さんの仕事はなくなり、井戸の脇には、
鈴木家の木製の冷蔵庫が打ち捨てられています。
時代を象徴していた一場面でした。

これでもう腐ったシュークリームを食べなくても
よくなりました。それにしても当時の注射は確かに
大きかった。私も水疱瘡になったときの注射が、
ばかでかくて泣いた記憶があります。
六ちゃんが、そのでかい注射をみて、
思わず、「あくまー!」と叫んだのもうなずけます。

「もはや戦後は終わった・・・。」
こんな台詞が、ヒロミの居酒屋の常連客から出ていました。
この台詞は、経済白書に書かれた言葉で、ようやく敗戦からも
立ち直り、経済も順調になり人々が未来をばら色に描けるように
なった、その気持ちをあらわした言葉だったといえます。

しかし、庶民の生活はまだまだ貧しく、よく大卒の初任給が
一万いくらといいますが、金の卵と言われた中卒の月給は、
その大卒の3分の一から5分の一でした。
しかも休みは月に2回とか。
それでも給料の半分を実家に送金するなど、金の卵ともてはやされた、
若者の生活の実体は、かなり厳しいものでした。

納豆売りの少年や牛乳配達の少年。子供も家計を助けるため、
学校に行く前に、ひと仕事しています。
巷では、ロカビリーがブームとなり、タバコ屋のきんばーさんも
踊る始末。しょうゆのような液体はコカコーラ。

子供達の遊びでは、フラフープが大流行しました。
夕日町の子供達も空き地でやってました。
大きな土管なんかがあるところは、ドラエモンの漫画でもおなじみ。
そんな空き地は、東京にはなくなりましたね。

淳之介少年は、空想科学小説を書いていたことで、
一平やその仲間達から一目置かれるようになります。
淳之介の愛読書は、冒険少年。
当時はまだ漫画雑誌というより、小説読み物で、
緻密でリアルな挿絵が、子供達の想像力をかきたてたものでした。
その挿絵の世界がCGで合成されて一平たちが21世紀の未来都市の
中に浮かんでいるような映像がでていました。

その淳之介のアイディアを盗作した茶川ではありましたが、
淳之介の書いた小説が、一応、小説家である茶川の手によって、
さらに面白い読み物となりました。
淳之介が、自分の書いたものが小説になった喜びと、
こんなすごいおじちゃん(茶川)と一緒に暮らせる幸せ。
そんないりまじった表情をうまく捉えていました。

そんな淳之介も、母に会いたくなり高円寺へと大冒険をしますが、
今は全くありませんが、昔は荻窪行きの都電があったそうです。
映画ですので、夕日町から一本で着いちゃったみたいになってますが、
実際には、新宿あたりで乗り換えないといけなさそうなんですが、
間違ってるかもしれません、私。

冬になると、茶川の家も、鈴木家も湯たんぽが大活躍をします。
朝になると、湯たんぽのお湯をだして、顔を洗っています。
淳之介もクリスマスプレゼントをもらって大喜びしていましたね。
しかし、一平のもらった野球版は、正直いって贅沢品すぎやしないかと
思いました。調べましたら、エポック社が昭和33年に発売したのが、
最初で、値段は1750円!
もしかしたら、六ちゃんの月給の半分くらいの金額かもしれません。
ちょ~っと、ありえないかな。と買ってもらえなかった子供時代を
思い出して、少し一平に嫉妬。

当時は三角帽子をかぶって銀座で飲んで騒いだサラリーマンが
たくさんいたんでしょうね。鈴木オートの前でも、ふらふら
歩いていました。今、恥ずかしくて町を歩けませんね。

淳之介がみたサンタは、宅間先生でした。
宅間先生のクリスマスの思い出が何かあるのか、深酒せず、
帰ってゆきました。この辺の三浦友和の演技が秀逸。
さて、淳之介がもらった黒の万年筆。

小説家に憧れている淳之介少年は、茶川が使うべっ甲の万年筆に
うっとりしています。そしてもらったのが、おそらくセルロイドの
黒の万年筆。べっ甲に比べると値段は落ちますが、淳之介君にとれば、
尊敬する茶川先生からもらったのですから、最高のプレゼントだったのでしょう。

しかし、それも本当の父親から、安物扱いされてしまいました。
あのいやみったらしい父親の言う本物とは、
プラチナ万年筆のことなのかもしれません。
原作では、淳之介の万年筆はセーラー万年筆となっています。

書きわれすれていましたが、タバコ屋の大田きんが飲む、
黒いしょう油、ではなくコカコーラ。
昭和33年から発売でした。なぜか私は冬になると飲みたくなります。

大晦日になり、夕日町も買い物客で賑わい、裏の路地では、
豆炭を七輪で起こしていました。
私、豆炭がわからなくて、なんじゃありゃ?と思い、
ガイドしませんでした。
あとで、昼食の時、皆様から教えていただきました。
鈴木家の障子張替えなんかも、なんだか懐かしい場面でした。

最後に、なんといっても東京タワー。
完成は、すでにしていたはずですが、映画では大晦日という
ことになっています。当時世界一を誇る高さでした。

この映画の象徴である東京タワーは、再来年で50周年を迎えます。
10歳の一平君や淳之介君も還暦を迎えるんですね。
今、この映画が評価されたのは、あの時代に置き忘れた何かを、
今の閉塞した日本の社会が必要としているからじゃないでしょうか。
それは、家族愛だったり隣近所とのふれあいだったり。
この映画を見て、もう一度、日本人が歩んできた歴史を振り返り、
この21世紀を元気よく生きてゆきたい、そんな活力を与えてくれた
映画でした。


大宮のソニックシティの後ろのビルにある、シーノという教室を借りて、
視覚障害者の方に、写真でお分かりになるように、映画を鑑賞してもらいました。
見えない人でも映像は出します。
天井のプロジェクターを使い、スクリーンに投影します。
私は、スクリーン横の(写真右にある)ブースの中に座り、
小さなモニターを見ながらガイドをしました。
音声は、マイクで、映画の音と一緒にスピーカーから出します。
ただ、映画の音楽が大きくなったりすると、
ガイドが聞こえないと言われてしまいます。
FM電波を飛ばして、イヤホンで聞いてもらう手もあるのですが、
まだ高価なんですね~。


ALWAYS三丁目の夕日、音声ガイド鑑賞会。 [映画]

ALWAYS 三丁目の夕日のDVDを買いました。
あれだけ話題になった映画ですが、
本日やっと鑑賞することができました。

ホントによく出来た映画で、昭和33年の町並みなんかも
リアルに再現していたし、ストーリーもいやみがなく楽しめました。
純粋だったあの時代、帰れるものなら帰りたい。
そう思う方が多いでしょうね。

この映画を視覚障害者の方にも楽しんでもらいたいということで、
12月3日に大宮のソニックシティにある一室を借りて上映することになりました。

この上映会はサムというボランティア団体が運営してるんですが、
私はここで年2回程度ですが、ボランティアで映画の音声ガイド、つまり、
映画の画面の説明をしています。

映画の画面を説明というのは、役者が右を向けば、「○○右を向く」みたいに
画面の中で何が起きているかを逐次伝えてゆくことを言います。

今回の上映会は、DVDの映像をプロジェクターを使って投影し、私はマイクを使って、
小さいモニターを見ながら生で音声ガイドをしてゆきます。
ですので時々、失敗もしますが、なかなか楽しい仕事です。

もしこのブログを、たまたま見てくださって音声ガイドというものに興味を
もたれた方は是非この後も読んでくださいね。

映画を視覚障害者にも楽しんでもらおうという運動は、各地のボランティア団体で
行われていて、今はDVDにも音声ガイドが入る時代になってきました。
(まだまだ少ないのですが。)

テレビでは、NHKや民放の2時間ドラマなどで音声ガイドが入ることがありましたが、
映画では日本の場合、なかなかなかったと思います。

以前、NHKの番組で、一人で映画に音声ガイドを入れて、それをテープに録音して
視覚障害者に聞かせている人の特集を見て、とてもびっくりした記憶があります。
その後、縁あって映画に音声ガイドをつけるボランティア団体に所属し、その後、
色々あってそこをやめ、今は一人でほそぼそと活動をしています。

よくボランティアを偽善だとか言う人いますけど、それでもいいのです。
ボランティアという活動を通して、世間を見る目が広がりますし、友達もたくさんできます。
そのうち本物になってゆくものです。

なんか色々書きましたが、興味をもたれた方は、ネットとかで検索して、
音声ガイドにチャレンジしてください。

もちろん、いろんなボランティア団体がありますので、
自分にあったものを探してください。

自分のことで精一杯の人にはすすめません。

自分の力をなにか社会に役立たいとか思う心が芽生えたら、
是非何かに参加してみてくださいね。


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